ホライズン日本人教会

Horizon Japanese Church

鹿のようにAs the deer
2020-10-26
鹿のようにAs the dee...

2020年10月25日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ





詩篇Psalms42篇
指揮者のために。コラの子たちのマスキール
1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。3 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中、「おまえの神はどこにいるのか」と私に言う間。4 私はあの事などを思い起こし、私の前で心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群衆とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。6 私の神よ。私のたましいは私の前でうなだれています。それゆえ、ヨルダンとヘルモンの地から、またミツァルの山から私はあなたを思い起こします。
7 あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました。
8 昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。9 私は、わが巌の神に申し上げます。「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。なぜ、私は敵のしいたげに、嘆いて歩くのですか。」
10 私に敵対する者どもは、私の骨々が打ち砕かれるほど、私をそしり、一日中、「おまえの神はどこにいるのか」と私に言っています。11 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。

★背景 Context
ダビデがこの詩篇を書いたのは、おそらく自分の息子アブシャロムがダビデに反逆し、多くの者を引き連れて、エルサレムの町を乗っ取った時のことだと言われています。また、ダビデの親しい友達までもが、アブジャロムの仲間になっていたことは、さらなる追い打ちをかけてダビデを精神的に苦しめました。裏切りといのは、信頼関係や愛を踏みにじられるので、一番辛いことですが、更に息子や友という近い存在に裏切られるとは、どんな苦しみでしょうか。大変な孤独を感じていたはずです。また、エルサレムという、礼拝の場を乗っ取られたということで、礼拝者であるダビデは、さらに苦しみを感じたことでした。

★鹿 Deer
鹿は、水を求めてどこまでも行く。ダビデは、荒野の近くのオアシス、川の流れに、鹿が来ているのをよく見ていた。鹿は渇くと、舌が喉にくっつき呼吸困難になるそうです。
日本には、水を求めて、島から島へ海を泳いで渡ってまで水を求めに来る鹿がいるそうです。


★渇きThirst
渇きは、必ず満たしを産みます。渇くことは幸いです。渇きが無ければ、必死で神を求められない。
ダビデは、大切な人に裏切られるという大変な試練の中で、神との一体感を失ってしまいました。絶望しているからです。絶望の最中にいる時には、恥や恐れが先行して、何も考えられなくなり、信仰を持っている人でも、一瞬、目の前が真っ暗になるようなことを経験します。信仰が無いからでは、ありません。絶望というのは、脳にそのようにするからです。そうなると、無気力になったり、うつになったりします。体が脳に反応しているのです。

人間が渇くのは、霊的、肉体的、精神的な渇きがあります。そして、これらすべては、関係によって満たされ、解決され、癒されていきます。人間は、関係の中に生きるように神にデザインされているからです。
関係とは、愛と言い換えることが出来ます。霊的な渇きをいやすには、神の愛が必要です、肉体的には、愛する人のタッチが必要です。精神的には、愛の中でのやり取り、分かち合い、受け入れ相うことが必要です。

そう考えると、ダビデは、肉体的、精神的に乾ききったことで、神に見放されてしまったような気持ちになり、霊的にも渇いてしまっていることが分かります。

★試練とセルフ・ケア Self-care in the hardship
自分の歩みを省みて、霊的な部分も大切ですが、いかに、肉体的に安全を感じたり守りと慰めを感じることや、精神的な満たしを感じていることが大切であるか、が分かりますね。全てが霊のせいではないのです。肉体と精神的なショックや打撃は、神様との関係に、神の側の責任ではないですが、私達が勝手に影を落とし、神と離れているような気持になってしまうのです。

★霊の満たし Spiritual Quench
しかし、霊の満たしというのは、実は、肉体や精神の渇きに影響を受けやすいですが、受けないことを選択することもできるのです。それは、私たちの渇きを永遠に解決してくださったイエス・キリストによります。

イエス様は、十字架で、「私は渇く」と言われた。イエス様は、なぜそんなことを言われたのでしょうか。そうです、それは、まさにイエス様は神との霊の関係の喪失を体験していたからです。父なる神の顔がどんどん遠のいていく。イエス様は、人の罪の故に、父なる神との霊的な満たしから完全に切り離されることを経験したのです。ですから、心底、渇いたのです。ちょうど、鹿ののどの渇きのように生き死にの問題であり、イエス様にとっては、永遠の生き死にの問題でした。

イエス様は、私達が永遠に霊的な満たされるために、あのように渇いて下さったのです。

★淵 Deep
V7 あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました。Deep calls to deep in the roar of your waterfalls; all your waves and breakers have swept over me.

礼拝の場、エルサレムを失ってショックを受けているダビデですが、彼は、羊飼いをしている時や、様々な戦の場面で、神による満たしを経験してきたことを思い返します。どこででも賛美し、神を礼拝できたことを。

●淵が淵を呼びDeep calls to deep…. とありますが、神の霊が私たちの霊の深みを呼び覚まし、引き出しあふれ満たされることです。
ちょうど井戸のようです。イエス様は、井戸のそばで、サマリヤの女に、二度と渇かない生ける水を紹介されました。ちょうどそのようです。

生ける水は、どんな状況の中でも、あなたの中にある、という時代に私たちは生きていることを覚えていましょう。エルサレムに行かなくても、苦しんでいても、今、満たされることが出来る。その泉がここにあるのです。
教会で、皆さんで手を上げて神に賛美を捧げるという祝福は、今は、体験できませんが、一人でも、やむことのない聖霊の満たしで礼拝することが、今キリストによって可能にされています。

ヨハネJohn 7:37, 38
だれでも、渇いているなら、わたしのものに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人との心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
On the last and greatest day of the festival, Jesus stood and said in a loud voice, “Let anyone who is thirsty come to me and drink. 38 Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.”

あなたの霊の満たしは、約束されています。

★祈り Invitation & Prayer
今、渇きを感じている人はいますか、祈りましょう。
誰でも。とあります。あなたも、です。聖書の知識が無くてもいい、立派でなくてもいいのです。渇いているなら、神様は与えてくださいます。
今日、イエス様を信じましょう。
そして、霊の奥底の渇きから解放されましょう。


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