ホライズン日本人教会

Horizon Japanese Church

とりなしの祈り ソドムとゴモラ
2020-09-15
とりなしの祈り ソドムとゴモラ

とりなしの祈りIntercessory Prayer
2020年9月13日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ




最近、コロナもそうですし、自然災害なども多く発生し、ここ西海岸でも暴動や、山火事の被害が出ている今、いろんなクリスチャンたちが神の裁きだというようなことを発信しています。ソドム、ゴモラを引用するのを何回も聞いた週でした。
私の心は、本当に悲しいのです。先週もマービン家族がコロナでとても苦しい思いをしました。また、ワシントン州でも赤ちゃんが山火事に巻き込まれて亡くなったり、たくさんの家が燃えてなくなりました。心が苦しくて涙がでます。預言であったり、クリスチャンの発言に余計に心が痛みました。
先週、パスターダックが話した通りに、人間の頭は、誰が悪いのか?悪いからには罰を受けるのだ、という考えがあり、どうしてもその結論付けをして自分のショックを和らげたいという思いに駆られるものです。しかし、ダックが引用したヨハネの福音書のある通り、こんな時こそ、覚えておかなければならないことは、リーズンが見いだせない時に、「先祖が罪を犯したからですか」という質問に対して、イエス様の答えは、「神の栄光が現れるため」である、でした。神の栄光とは、何なのか、神の栄光がもたらされる時は、どんな時なのか、私たち神を信じる者に求められるものはなんであるのか、を今日は、アブラハムを通してみて行きたいと思います。

★神の使いの一行ががアブラハムところに良い知らせを告げに来たMessengers from God brought good news

神は、この信仰の父とのちに呼ばれるアブラハムのところに約束の子が与えられるということを告げに来られました。そして、その後、アブラハムは、主が罪深いソドムとゴモラの町を滅ぼそうと思っていることをアブラハムに告げます。
神は、アブラハムを友と呼んでおられました。そんな親しい友に大切なことを隠して折れないと思われたのです。イエス様もあなた方を友と呼ぶと言われました。(わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。ヨハネ15:14 You are my friends if you do what I command. John15:14)イエス様もまた私たちに必要なことをシェアしてくれています。

創世記Gen. 18:17-21
17 主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべて国々は、彼によって祝福される。
19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
20 そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」

●主は、いきなり裁かれるのではなく、まず、実際にソドムとゴモラの中に入って、どうなっているのか体験しにいかれるという。。。。。主は、知りたいと思われる。どんな罪人の構造でも。。。主は愛しているから、知りたいと思うのだ。

★主の計画 God’s plan
主は、神を信じるアブラハムを、神の道について子孫に教え、守るようにし、そして、正義と公正と神の御心を表すために選んだと言われている。
まず、覚えていただきたいのは、
私達、キリストによって、神の大使とされている現在、私たちの神からの期待もこれと同じことなのです。

創世記Gen. 18:22-33
22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。
23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれうのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とがおなじようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義をを行うべきではありませんか。」
26 主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
28 もしも五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるのでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」
30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」
32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」
33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。

★アブラハムはまだ、主の前に立っていたbut Abraham remained standing before the LORD

●とりなしの祈りは間隙を埋めることFilling the gap
執り成しの祈りとは、神と人との隔たりをつなげることであり、その間隙を埋めることであります。
アブラハムは、神と親しく、神の心を知るものでありながら、滅びに向かう人の友、また、ロトがいましたから、その血を分けた親戚でもありました。
両方を理解できるアブラハムであるから、その間隙に立ち、とりなすことができたのです。

完全な人であり、完全な神である、正にキリストの働きと同じである。

★とりなしの祈りに裁きの思いがあってはならない Judgmental heart in prayers
アブラハムは、ロトのことをもちろん念頭に置いて祈っていたでしょう。
私達の中に完璧な人間はいません。しかし、私たちは、誰かがトラブルの中にいる時に、憐れみよりも先に裁くことがあります。「あの人には、ああいう性質があるから」とか、「あの人は、自分で選んであそこに住んだのだから、そのつけが回ったのだ」とか、言います。もちろんアブラハムは、ロトについて、貪欲にいいとこどりをしたからだ、ということもできたと思います。
しかし、アブラハムは、それを一切しませんでした。

注意を払うべき点です。
アブラハムは、イサクを捧げる段になっても、神の約束や自分や、神を疑う言葉を発していません。。。

裁きは、命を絶ち、交わりを断ちます。それは、人間関係の中ではもちろんのこと、祈りの世界でもその通りです。裁きの心を持ちながら、その人の最善を祈ることはできないのです。

★私たちの神理解と福音理解がどこにあるかが祈りの中で重要になって来るUnderstanding of God and Gospel

私達の神理解が私たちの立ち位置と、とりなしを左右する。
神は、義でありるが憐れみ深い神である。
アブラハムは100パーセント、義なる神と同意し、神がソドムとゴモラを滅ぼすことを傍観することもできました。
が、彼は、神の憐れみの方に立ったのです。この姿勢は、後にくるキリスト理解にも通ずるものがあります。イサクを捧げる時に、神は死人をもよみがえらせることが出来ると信じた。すなわち、神は約束をご自身方法で全うさせるということを信じ、従順を選んだ。

アブラハムは、神の憐れみに寄り添って祈り、その心に訴えかけ、神の憐れみの栄光を見ることを求めた。

★とりなしの祈りには忍耐が必要 Be perseverant
アブラハムは、主に何度も食い下がって祈りました。
みなさんも、誰かのために祈る時に、本当に疲れてくるくらい、繰り返し、何度も、心おれそうになりながらも祈るのではないでしょうか。

エペソEphesians 6:18
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
And pray in the Spirit on all occasions with all kinds of prayers and requests. With this in mind, be alert and always keep on praying for all the Lord’s people.

この記事は本当に不思議なのです。どうして、あんなにひつこく、大胆に神に近づき、神に食い下がって祈ったアブラハムが、五十人、四十人、三十人、二十人、十人ときて、そこでやめてしまったのでしょうか。
10人いるということを知っていたのでしょうか。それとも、それ以上は、いくらなんでも申し訳ないと思ったのでしょうか。聖書は何も言っていません。

★祈りの法則 Principle of Prayer
1ヨハネJohn5:14
14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
This is the confidence we have in approaching God: that if we ask anything according to his will, he hears us.

みこころの祈りはきかれる、ならば、御心に合意しなければならない。

同意するところに力がある。と、よく話しますが、祈りととりなしは、神の心に寄り添い、神の御心と同意していくことです。アブラハムは、自分の憐れみの心と愛の心を用いて、神の憐れみの側の心に寄り添い、訴え、繋がっていったのです。

★私達へのチャレンジ Application
新約では、
神が一人も滅ぶことを望まず。。。。とあります。

2ペテロPeter 3:9
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。The Lord is not slow in keeping his promise, as some understand slowness. Instead he is patient with you, not wanting anyone to perish, but everyone to come to repentance.

ならば、たった罪人が一人であったとしても、キリストは十字架にかかってくれたのです。あなた一人のためにでも。
キリストは、あなたが救われて欲しいかったと同じように、今日、あなたの隣の人にも救われて欲しいと願っていらっしゃいます。

裁きに立つのではなく、愛に立ちましょう。よく知るために出て行った、主のように。興味を持ちながら、出て行き、祈り続けましょう。


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