ホライズン日本人教会

Horizon Japanese Church

イエス様の道②私たちの祈り
2018-05-27
今月のお誕生ケーキ。二階建て!...

今月のお誕生ケーキ。二階建て!!!

ハーモニーさんおめでとうござい...

ハーモニーさんおめでとうございます。子供たちがろうそくを吹くのをお手伝い。。。顔が真剣!

今日で、英語教会の子供教会の牧...

今日で、英語教会の子供教会の牧師ライアン先生の最後の日でした。ライアン先生は、これから宣教師になる準備に入ります。子供たちは、お別れ会をしました。寂しそうでした。

2018年5月27日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


人は、人に影響を与えずに、また影響を与えられずに存在することができないようにできている。それは、脳科学を見ても証明されている。人は、神の似姿に造られている。創世記二章。神もまた、三位が互いに影響を及ぼしながら存在しているのである。

第一回で、イエス様は赤ちゃんで生まれて来て、周りにいる人たちに世話されるように、その世話を受けるようにされたことを話しました。イエス様は、どこまでも、神と人との隔たりを縮めるようにされた。イエス様はどこまでも私たちと近く、共に、一緒に、親密に存在されたいという願いの現れではないか。私たちがそこにどれほど気が付いているだろうか。

神は、人に助けられる必要が全くないが、神は、人に影響されることをよしとされている。神は、人間に操作される存在ではないが、人と交わりをもち、人から影響を受けることもご自分で良しとされている。

★アブラハムのとりなし

この主のアブラハム家族の訪問の際、来年の今頃、サラは男の子を産むと言われている。そして、神に不可能なことは一つもないという会話をしている。

創世記18:17-19

主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべて国々は、彼によって祝福される。19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」

創世記18:22-33

22 その人たちはそこからソドムとゴモラのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」26 主は答えられた。「もしソドムとゴモラで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。

◎祈りは会話である

V33主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた33 When the Lord had finished speaking with Abraham, he left

祈りは、お経、チャンティングではなく、交わりです。交流、経験の共有。敬意と愛の交換。

◎会話を通して、主と交わる

交わりとは、互いに影響を与え受けることです。
アブラハムは、「神に不可能なことはない」という言葉を受け取った後で、自分の甥ロトが住む地域が罪の故に滅ぼされることを聞きました。これはいけない。。。
と、祈ります。もし50人正しい人がいれば、その人たちも滅ぼされてしまわないように、救ってください。。。40人、30人、20人、10人。。。。

◎アブラハムの神経験

アブラハムは、このとりなしの祈りの中で何を経験したのでしょうか。アブラハムは、祈れば祈るほど、神の心を知っていった。神様、五十人、神様が、その五十人のために滅ぼすまい。と言われると、アブラハムは、どんなに、神が少数であっても、神に従う人の存在を尊く思っておられ、そして、その人たちのために、この町全体を救いたいというほどの熱い愛を持っておられることを知ったのです。

四十人、三十人、二十人。。。。祈るごとに、神の心を知っていったのです。
祈りは、自分の願いをお経のように唱えるものではないのです。神体験をするものです。

また、神にますます影響される場なのです。そして、神もまたそれに答えられ、神と私が思いが一つになっていく、愛、目的、悲しみ、願い、働きが一つになっていくものなのです。

神の御心はどこから急に降ってくるものではない。祈りによって、交わりによって、神と二人で一緒に見つけていくものです。一人で神の御心を見つけるのではないのです。

◎そこに脆弱性(ぜいじゃくせい)が求められるVulnerability required

自分のニード、心を相手に知ってもらうということは、脆弱性もとめられる。日本的に言うと腹をわって本音をさらけ出すことが無ければ、互いに理解できない。アブラハムにとっては、自分の家族のことが一番念頭に会ったことだろうが、そのために祈るうちに、神の深い愛と願いを知るようになる。おそるおそる、10人ではどうでしょうと祈ることになった。

◎神との親密さに制限をかけないこと

そして、結局10人も正しい人がいなかったので滅ぼされることになるが、そのまま、祈りを続けていたら、どうだっただろう。。。不可能のないお方が、例えば、一人の正しい人であったノアにあげたプランのような、箱舟というシェルターのような、何かそんな計画が出てくる可能性もあったかもしれません。

どこまでも、どこまでも、神の心を求めて、私たちは、祈り続けるべきです。私たちは、神を知ることを第一に、神に近づいていくべきです。

◎イエス様の話された言葉

祈りは、神を支配することではありません。祈りは、神を操作するものではありません。イエス様は言われました。

ヨハネ15:15

わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

友は互いに支配関係にない。同等である。と、私たちから影響を受けたい、私たちに影響を及ぼしたい、王の王であり、主の主であるイエス様がおっしゃっているのです。
大胆に、そして、もっと神を知るために、祈りの交わりを神様と持っていきましょう。


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