ホライズン日本人教会

Horizon Japanese Church

Sabbath ④ 共に食事をするCommunal Feast
2018-02-20
礼拝後、子供たちがごみ集めをし...

礼拝後、子供たちがごみ集めをしています。。。ちゃんと、ごみ袋も入れ替えて、替えの袋も中に入れてっと。。。そういえば、日本の学校では、みんなやってますもんね。幼稚園児が草むしりしているし。。。なんか、できるんだーと新鮮に感じてしまいました。アメリカナイズされたなー。。。

今日は、初めて、けっぴーとしず...

今日は、初めて、けっぴーとしずかちゃんで、ワーシップをリードしてくれました。
不安だったみたいですが、とっても良かったです! 神様は、神によりたのむものを用いられますね。

2018年2月18日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、こちらから。。。


主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。詩編34:8
Taste and see that the Lord is good. Oh, the joys of those who take refuge in Him! Ps.34:8

ダビデがアビメレクの前で気が狂っているふりをして、難を逃れた、その時のダビデの歌です。私たちは、どんな試練の中にあっても、安息に入ることができる。神の豊かさを味わうことができるのです。主に身を避けるなら。。。

ユダヤ人の安息日は、前もって料理をしておいて、安息日の日には料理はしません。けれども、皆が食卓について食べ物を分かち合い、楽しみます。

★安息は,肉体的感覚で喜びを味わう日です

創世記2:1-3 Genesis2:1-3
1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。2 神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。3 神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。.

他の宗教や、キリスト教でも肉体は悪、霊は良いとされる傾向があり、肉体的な欲を取り除くことが、徳を積むようなそんな認識が広くあります。キリスト教の場合は、プラトン、アウグスティヌスに代表される二元論によって、肉体は悪。肉の欲は悪とされてしまいました。私たちの神様は、本当は逆だったのです。私たちの肉体を喜ばせることは、私たちの人間であることを祝うことです。安息とは、タッチ、におい、聞く、見る、そして何より味わうことを祝い楽しむ日です。

★食べ物

食べ物というのは、もっとも私たちを満たす楽しみ。Eating with fullest pleasure.

この楽しみの中に、私たちの感謝が込められています。私たちが作り出したものでない、食べ物は神様からの贈り物です。
エデンの園で、アダムはなんでも取って食べることができた。それは、実践的なレベルでの神様からの命令であり、またアダムの従順のあらわれでもあった。

食べ物というのは、ユダヤの文化の中心的なものとなった。食べ物は、信頼を表します。主の祈りでも、我らの日用の糧を今日も与えたまえ、といいますね。先週のメッセージのマナも、信頼が試されました。荒野を旅しているユダヤ人たちは、岩から自ら出る経験もしました。食べ物がない時に、信仰がなくてはならないのです。食べ物は、もう一度、神を信頼するかどうかをいつも問われるものであります。マナを荒野で自分のためにため込むことは、不信仰の現れでしたね。

何を食べるか、いつ、だれと食べるかということはまたとても重要です。
イエス様がこの地上に来られてからは、それが特に強調されました。イエス様は、また天からのパンであり、生ける水であられました。イエス様の存在は、食べ物に例えられました。そして、奇跡を通しても、神の与えるパンは、いつも十分であり、いつも余りあるほどである豊かさがあることが示されました。イエス様は、人々とともに食べました。ある時は、いつも罪人と食事をしていると責められました。
食べ物は、交わりを示しています。神の豊かさの中で、ともに食することに素晴らしい意味があるのです。

★美しさ

レビ23:3 Leviticus23:3 聖なる会合 Holy Convocation
六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。

食べ物は、交わりのためでもあるといいましたが、レビ記でも、安息日は聖なる会合の日であるとあります。人々が集う日であると。私たちは、聖なる会合に招かれています。

〇三位一体の関係に招待されている

安息とは、神の創造の神殿の中に入ることだと、先週話しましたが、そこには、ホストしてくれている方々がいるのです。それは、父、御子、御霊の三位が交わりながら存在体いる。その三位一体の神が私たちを、安息の神殿に招いていらっしゃるのです。

カール・バルトが次のように書いています。「三位の神は輝かしい、その輝きは喜びである。この喜びは人々を引き寄せ、また打ちのめすほどだ。ですから、この神の美しさ、すなわち、三位であられる神は、一つであるがそれぞれに異なっており、互いに関係をもち、完全な一致がある。その存在が美であり、また経済であり、その愛にあふれる三位の交わりは、まるでダンスのようだ。そのダンスが、美しさを放っている。」

神の美しさは、肉体的な感覚からも私たちに伝わるのです。ともに神の臨在の中で交わり、食事を共にするとき、私たちも神のダンスに参加し、神の美しさを体験するのです。

私たちの教会が毎週食事を共にする意図は、ここにあります。毎週、ケビンさんが心を込めて用意してくれていること、とても感謝しています。
私たちは、神の交わりの美しさから喜びを頂き、神の美しさは、私たちにさらなる願いを引き起こし、その願いは、神に対する畏敬の念に導いていきます。

★受肉のイエス様を受け取る

この私たちを安息に招く神は、私たちのように肉体をまとって、この地に来てくださいました。これは、大きな意味があります。神は、私たちの肉体を祝福されているのです。イエス様の美しさ、それは、受肉、誕生、奉仕、十字架、死、復活、復活、その命に触れる時、私たちはその美しさ故に、もっと知りたいという願い、それが欲しいという願いがおき、そして、主への畏敬の念にかれるのです。
このイエス様は、私を覚えてこれをしなさいと、パンを裂きました。イエス様を覚えてパンを食しぶどう酒を飲むときに、このイエス様と一つとなるのです。救いを得、そして、まことの魂の安息に入ることができます。

ヨハネ6:55-58

わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。58 これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。

共同体の食事とは、イエス様を食することであり、神の美に招かれているということです。


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